
- ◆南部鉄器というもの
- 南部鉄器は「伝統工芸品」として伝産法"の指定を受けています。 生活道具としてのやくわりと、すぐれた芸術性がみとめられ、ながく 受け継がれるべき工芸品として評価されているのです。>
- ■ルーツは奥洲藤原氏
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千年前、平泉を拠点に栄えた奥洲藤原文化。黄金の都と呼ばれたその繁栄は、中尊寺金色堂の姿からもうかがえます。清衡を祖とする藤原氏四代は、 都からすぐれた技術者を次々に呼び寄せ、産業の発展に尽くしました。 鉄器づくりもしかり、当時のハイテク産業だったのです。
みちのくには原料となる砂鉄や燃料の木炭などが豊富で鉄器作りには適していました。当時の技術の高さをうかがわせるものに、岩手県一関市に伝わる舞草刀がある。 そりの見事な太刀(たち)。

- ■南部鉄器のなんぶとは■
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現在の岩手県は、江戸時代には南部氏が治めていた南部藩と、仙台の伊達藩とに別れていました。 両藩とも鉄器づくりを熱心に保護、奨励し育成につとめ、全国的にその品質の良さが 知られるようになっていきました。そうして南部の盛岡、伊達の水沢で生産される鉄器を あわせて南部鉄器と呼ぶようになったのです。
- ■みずさわの鉄器
- 水沢の鉄器は、鍋や釜、農耕具などからスタートしました。南部藩の城下町盛岡市の鉄器が、 藩御用達の茶器を中心に発展したのと対称的です。現在市内羽田町には鉄瓶製作専門の工房とあわせて、 数十社工場が集中しており、全国的にもめずらしい一大生産地なっています。

















































